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1.
移動表現の研究は、広く言語表現一般の性質を知るための重要な手がかりとなりうる。代表的な移動動詞は「来る」「行く」である。「来る」「行く」の使い方は話し手の視点と深い関係がある。本稿では、視点の置く場所によって「来る」「行く」の使用を分析しようと思う。 相似文献
2.
堀口(1983)は、授受表現は、ほとんどの初級教科書で多かれ少なかれ取り上げられているが、これは外国人学習者が日本語を学習していく過程で、必ずと言ってよいほどぶつかる難関の一つであると指摘している。本稿では特に授受動詞「やる、もらう、くれる」が補助動詞として使われるときに、それらが内包する恩恵の表さない用法を纏め、中国人学習者に役立てることを目的とする。 相似文献
3.
依頼は自分のためにある行為を行うように相手に頼む行為である。依頼者は、依頼の内容、相手との関係及び場面によって、様々な依頼行為をとる。本稿は、依頼表現を行う際に、日本語の終助詞「ね」と「よ」と、それに対応する中国語の語気助詞の「吧」「呀」の役割を中心に対照研究を行ってみた。 相似文献
4.
日本語のとりたて表現とは、命題間の「範列的な関係」(‘paradigmatic’な関係)を表すものをいう。言い換えれば、文中の種々な要素をとりたて、これとこれに対する他者との論理的な関係を示すような働きをする表現である。本稿では、とりたて助詞の使用は文脈的レベルで言う焦点範疇(フォーカス·スコープ)と言った語用論的視点から中国語のとりたて表現及び中日翻訳で注意すべき点を指摘してみよう。 相似文献
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本稿は、品詞的ズレがある日中同形語の対照結果を踏まえ、中国語を母語とする日本語学習者の品詞的ズレのある日中同形語の使用状況に関する調査データを分析する。調査は、パターンⅠサ変自動詞(日)圯形容詞の用法(中)、パターンⅡサ変自動詞(日)圯他動詞の用法(中)、パターンⅢサ変自動詞(日)圯形容詞と他動詞の用法(中)の同形語が入る文を学習者に訳してもらう方法で行った。筆者は調査データの分析を通して、より効果的な教授方法を考察する。 相似文献
6.
助動詞は用言のあとについて文節を形作り、その文節の陳述を細かく言い分ける。それは、話し手が用言の活用形の変化だけでは言い表しきれないことである。推量の助動詞は助動詞の一つで、この使い方と助動詞の使い方が大体同じである。ここで、推量の助動詞の具体的な使い方を説明したい。特に、「う·よう·まい·らしい」の使い方である。日常の用語を例として、推量の助動詞の具体的な使い方を説明する。 相似文献
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授受動詞の使用は日本語勉強の難しいところと思われる。また、中国語の授受表現は日本語のように、使役や敬語などとの連用したりして、そう難しくはならない。 相似文献
9.
皆さんはこういう経験があるだろう。パーティーに参加するとき、西洋人やヨーロッパ人や中国人たちはいつもはっきりと自分の意見などを言って、すぐ話題に入ることができ、仲良くなった。それに対して、いつも黙っていて、自分の意見を表さなくて、ただ他の人の話しを聞くだけのは日本人に違いない。世界のさまざまな民族に比べたら、日本民族(大和民族ともいう)は比較的に沈黙な民族で言えるだろう。一方、日本人は世界のどんな国の人より、挨拶が重視している。例えば、朝にあった時、日本人は必ず「おはようございます」といって、人から何か恩を受ける時、「ありがとう」といって、病気の人を見舞い終わったとき、「お大事に」という。こういう例は数えられない。なぜ日本語には挨拶語がそんなに多いのであろうか。日本民族のこういう沈黙の行動意識と日本人の挨拶語に対する重視は日本の昔から伝えられた言霊とは何か関係があるだろうとわたしは思う。以下は日本の言霊についての考察からこういう原因を探求しよう。 相似文献
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《科技信息》2013,(6)
皆さんはこういう経験があるだろう。パーティーに参加するとき、西洋人やヨーロッパ人や中国人たちはいつもはっきりと自分の意見などを言って、すぐ話題に入ることができ、仲良くなった。それに対して、いつも黙っていて、自分の意見を表さなくて、ただ他の人の話しを聞くだけのは日本人に違いない。世界のさまざまな民族に比べたら、日本民族(大和民族ともいう)は比較的に沈黙な民族で言えるだろう。一方、日本人は世界のどんな国の人より、挨拶が重視している。例えば、朝にあった時、日本人は必ず「おはようございます」といって、人から何か恩を受ける時、「ありがとう」といって、病気の人を見舞い終わったとき、「お大事に」という。こういう例は数えられない。なぜ日本語には挨拶語がそんなに多いのであろうか。日本民族のこういう沈黙の行動意識と日本人の挨拶語に対する重視は日本の昔から伝えられた言霊とは何か関係があるだろうとわたしは思う。以下は日本の言霊についての考察からこういう原因を探求しよう。 相似文献
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言語はコミュニケーションの手段であり、言語と文化は溶合う切り離せない存在である。日本語の教育は言語の知識を伝授するだけではなくて、更に重要なのは学生のコミュニケーション能力を育成することや、円滑な異文化コミュニケーションができる能力を育てることである。本論文では、まず外国語の教育の角度から新しい時代においての日本語教育の中で異文化コミュニケーション能力育成の必然性と重要な意義を論じる。また、文化やコミュニケーション能力などの教育の理論を基づき、具体的な例を根拠にし、教室現場における文化指導の3段階法を提出し、同時に外国語の教育とコミュニケーション能力の内在関係を明らかにする。 相似文献
12.
日本語の条件文中に使用される動詞の形は、主節の場合と同じであって、ラテン語のように、条件文で不定法や接続法という主節とは異なった形式をとるわけではない。このため、条件文におけるテンス形の機能も、主節で使用される場合と基本的には一致するのであるが、条件文を含む文は当然「複文」であるので、主節と条件文の両方にテンスを表示する形式が現われ、その2つのテンス形の指示する時点の関係が問題となる。主節を副詞的に修飾する条件文の動詞のテンスはどんな特徴があるか。次に検討してみよう。 相似文献
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《科技信息》2008,(25)
[交流分析](Transactional Analysisと言い、以下はTAと略す)とは一つのパ一ソナリティ一理論であり、個人が成長し変化するためのシステムである。■■、TAは諸々の心理的アプロ一チのなかで、理論の深さと適応の広さにおいて卓越している。交流分析活用論範■内のエンプロイアビリティ視点では、その人が持っている思考特性や、行動特性に係るものだと考えている。労働者個人は自己責任で雇用能力を高め、企業はそれを支援するという新しい枠組みのなかで、企業と個人は、お互いに自律した関係であることが求められている。このため、学生も、社会へ進出することに向けて、自我認識においてエンプロイアビリティを検討する必要がある。本稿では学生のエンプロイアビリティを高めるために「交流分析」の応用論を用いて自分を客観的に理解できる自己評価、推測評価の有効性を論じてみた。 相似文献
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本稿では、受動詞の構文的·意味的特徴を考察した上で、受動詞文と受身文の共通点及び相違点を比較した。意味的には、文全体の面からみれば、一般に受身文は主観的表現であるのに対し、受動詞文は客観的表現である。構文的には、主体の面からみれば、受身文では主体が迷惑の受け手として人間の場合が多いのに対して、受動詞文では主体が無生物の場合が比較的多い。また、行為者の面からみれば、受身文では行為者が人間や自然現象が多く、一般に省略できないのに対して、受動詞文では行為者が無生物が多く、省略することができる。 相似文献
15.
中国語には日本のような文法体系を持つ敬語は存在しておらず、美化語を使ったり、呼称を手段として相手を持ち上げたりして敬意を表している。なので、敬語を勉強するのが、中国人学習者の中に難しく思う人が多いではないだろう。 相似文献
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本研究は否定の焦点を通して、「~から~まで」構文について考察するものである。肯定文との比較も視野に入れながら、「~から~まで」と「から」「まで」単独に使用する場合と比較し、否定焦点のタイプを分析した。その結果、「~から~まで」構文は起点「から」より限界点「まで」と強い関係を持っている。 相似文献
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中国語の受動式と日本語の受身表現の使い方には、全く同じ意味で使われているものもあり、どちらも受身表現が取れるが、意味が違ってくるものもある。それを区別して使うことはわれわれ日本語を勉強している中国人にとってたいへん難しいことだと思う。だから、中国語と日本語の受身文対照研究の必要性を実感した。中国語から日本語を見て、日本語から中国語を見ると今まで気がつかなかった新たな世界が広がってくると思う。 相似文献